私たちは「親権」という言葉に違和感を持つ人は少ないです。
しかし昨日の「モーニングcross」で、弁護士の清原博氏が「親権という言葉に皆さんどういうイメージを持ちますか?」
と問いましたが、そのとき私は違和感を感じました。
本日の先の記事にも関係しますが、ユートピアとは愛に満ちた星です。
愛とは一言で言うと「自他一体」です。
自分と他人の垣根がありません。
勿論、プライバシーなどありません。
全て筒抜けです。全部が自分ですから隠す必要がありません。
全てが筒抜けになる社会になるためには、すべてを自分のこととしてすべてを許し受け容れる心の成就が必要です。
論理だけでなく、テレパシーが普通にあるのでプライバシーなど無くなります。
個人情報、個人情報と騒いている現代ですが、個人情報の流出で犯罪が起きている以上それを非難しませんが、本来あるべき方向性とは真逆の方向性であるということも知っておく必要があります。
ユートピアでは心も物も、すべて共有です。
ユートピアへと次元以降(アセンション)するためには共産の心が必要です。
すべては私なのですから私有しないということが前提ですが、ユートピアでない地球という星は共産の心を体現できません。
共産の心を体現できないのに共産主義を謳って進めば100%失敗しますし、実際に失敗しました。
現代では共産主義は資本主義に敗れ、間違った思想だったとされていますが、それは間違いです。
人類の概念が作った共産“主義”という概念が間違いなのです。
そのことを知らない人類ですが、共産の精神は間違いではありません。
今日は触れませんが、民主主義という体制が正しいと考えている限りユートピアへのアセンションもできません。
子供も同じです。
私の子、などという所有権自体がおかしいのです。
子供は社会の宝であり、社会全体で見守るものです。
親の子供への虐待が無くせないことの原因の一つに、子供を親の所有物としている概念があります。
話を戻します。
弁護士の清原氏のテーマは「単独親権は違法」というものでした。
離婚して自分の子供の親権を失った男性がこの判決を不服として別途裁判を起こしたそうです。
単独親権自体がおかしいと。
確かにそもそも親が子供の親権を失うなどという発想がおかしいです。
親は親です。
子供は社会のものとしましたが、一方で子供を持つ親の権利を認めるなら親権は両親のものです。
清原弁護士が言うには「親権」という概念は欧米にはないとのこと。
権利は子供にあって、親には子育ての義務があるのだそうです。
離婚する場合でも、協議離婚は認めないのだそうです。
必ず裁判を通さないといけないのだそうです。
協議離婚を認めているのはG7の中ては日本だけだそうです。
他国は、それぞれの子育てのプランを両親に提出させるのだそうです。
そのうえでどちらの親元に子供を置いたらいいのかの判定をするのだそうです。
両親の子育てプランがどちらとも充分でない場合には、離婚自体が認められないのだそうです。
私、このことは昨日初めて知りました。
何でも裁判にするという観念は私は好きではあません。裁判は正しくないことを善いこととして認めてしまうことが多いからです。
・「法」や「常識」は良いことであっても正しいことではない
しかし子供に対しての人権は日本よりも欧米の方が強いですね。
前日産自動車会長のゴーン氏への人質司法を平気で為している日本の現実からも人権無視が日本には染み付いているということが窺えます。
日本というエネルギーを何とか変えないといけないですね。
日本は世界の中心 なのですから。
では、これから壊れる直前のパソコンを新しくするためにデータ移行でケーズデンキに持ち込みますが、何と混んでいて一週間かかるそうです。
スマホでの部録upはしんどいので、一週間お休みさせていただくかも知れません。m(__)m
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親権という過ち
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